アディダスとプーマ|2大ブランドの創業者は兄弟だった!? - physica
スポーツブランドの二大巨頭として知られるアディダス(adidas)とプーマ(PUMA)。
ライバル同士というイメージが強い両ブランドですが、実はその創業者は実の兄弟だったことをご存じでしょうか?
しかも、もともとは同じ会社を経営していたという、まるでドラマのような歴史があります。
今回は、アディダスとプーマ誕生の裏側と、兄弟げんかから始まった世界的ライバル物語をご紹介します。
始まりは「ダスラー兄弟製靴工場」

▲兄・ルドルフ(左)/弟・アドルフ(右)
物語の舞台はドイツ・バイエルン州の小さな町、ヘルツォーゲンアウラハ。
1919年、弟のアドルフ(アディ)・ダスラーがスポーツシューズ作りを始め、その後、兄のルドルフ(ルディ)・ダスラーが経営面を担当する形で加わります。
1924年には正式に「ダスラー兄弟製靴工場(Gebrüder Dassler Schuhfabrik)」を設立しました。
兄弟の役割分担は明確でした。
- アディ:靴の設計・開発
- ルドルフ:営業・販売
この組み合わせは非常に相性が良く、会社は急成長を遂げます。
ジェシー・オーエンスが世界に広めたダスラーの靴
ダスラー兄弟のシューズが世界的に有名になったきっかけは、1936年のベルリンオリンピックでした。
アメリカの陸上選手ジェシー・オーエンスがダスラー製のスパイクを履き、4つの金メダルを獲得したのです。

▲ジェシー・オーエンス
当時のドイツで開催された大会で、黒人選手が圧倒的な活躍を見せたことは歴史的な出来事でした。
その足元にはダスラー兄弟のシューズがあり、この出来事によって世界中のアスリートから注目を集めるようになりました。
兄弟の決別

順風満帆に見えた兄弟ですが、第二次世界大戦前後から関係が悪化します。
実は決定的な原因は現在でもはっきりしていません。
有力とされる説には、
- 経営方針の違い
- 性格の不一致
- 家族間の対立
- 戦時中の出来事や誤解
- アドルフの妻の干渉
などがあり、複数の要因が重なったと考えられています。
そして1948年、兄弟は決別。
会社は真っ二つに分かれることになります。
弟アディが作った「adidas」

弟アドルフ・ダスラーは、自分の名前
Adi(アディ)+ Dassler(ダスラー)
を組み合わせて、
adidas(アディダス)
というブランドを設立しました。
1949年には現在でも象徴となっているスリーストライプス(三本線)を採用し、本格的なブランド展開が始まります。
ちなみに「All Day I Dream About Sports」の略という話を聞いたことがある人もいるかもしれませんが、これは後から作られた俗説です。
兄ルドルフが作った「PUMA」

一方、兄ルドルフは1948年に新会社を設立します。
当初はルドルフも自分の名前から
RUDA(ルーダ)
というブランド名を考えていました。
しかし、その後より印象的な名前として
PUMA(プーマ)
へ変更しました。
こうして、現在まで続く世界的ライバルブランドが誕生したのです。
町まで二つに分かれたライバル関係
兄弟の対立は会社だけでは終わりませんでした。
本社が置かれたヘルツォーゲンアウラハでは、
- アディダス社員の店
- プーマ社員の店
- それぞれの応援するサッカーチーム
など、町全体が二つの勢力に分かれていたと言われています。
初対面ではまず相手の靴を見て、どちらの会社の人なのか確認していたことから、「首を曲げた人々の町」と呼ばれることもあったそうです。
ライバルだからこその進化

兄弟は生涯和解することはほとんどありませんでした。
しかし、その激しい競争がスポーツシューズの技術革新を大きく進めました。
- より軽いシューズ
- 高いグリップ性能
- サッカースパイクの改良
- 陸上競技用シューズの進化
こうした競争が、現在のスポーツ用品業界の発展につながったとも言われています。
ユーザーにはある意味ありがたい話
アディダスとプーマは、ダスラーの兄弟喧嘩から生まれたブランドでした。
兄弟の決別は悲しい出来事ですが、その競争は奇しくも「切磋琢磨」という結果になり、私たちは高品質な商品を手にすることができるようになったわけですね。
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