日本初のフィットネスクラブはどこ? - physica

今でこそ日本中に数えきれないほどのフィットネスクラブがありますが、その始まりはいつ、どこからだったのでしょうか?

今回は、日本における「フィットネスクラブの始まり」にちょっとだけ触れてみたいと思います。

フィットネスクラブ誕生の背景

始まりは、1964年にさかのぼります。

この年の東京オリンピック(での日本水泳の惨敗)を契機に、国内では選手育成や一般向けのスイミング指導が拡大。

続く1965年、東京・代々木に民間初となるスイミングクラブ「代々木スイミングクラブ」が誕生したのを皮切りに、1970年代には現在の大手フィットネスクラブの前身となる「セントラルスポーツクラブ(現セントラルスポーツ)」や「ピープル(現コナミスポーツクラブ)」、「日本体育施設運営(現スポーツクラブNAS)」が相次いでスイミングクラブの運営に乗り出していきました。

日本初のフィットネスクラブ

そんな中の1970年7月、東京・中野にスイミングプールに複数のスポーツ施設を付帯させた“夢の体育館”こと東京アスレティッククラブ(TAC中野)がオープン。これが日本における初の会員制総合フィットネスクラブと言われています。

東京アスレティッククラブ(東京・中野)https://www.tac-net.info

ちなみに、この時はまだ「フィットネスクラブ」という言葉は浸透していませんでした。

この名称が使われた施設としては、1983年11月にオープンした「ウィルセントラルフィットネスクラブ新橋」が日本初と言われています。こちらはフィットネスクラブの三種の神器と言われる【プール・スタジオ・トレーニングジム】を備えた上に、当時アメリカで人気を集めていたエアロビクスのレッスンも導入。私たちに馴染みのあるフィットネスクラブの原型はここでほぼ完成します。

そして、ここからフィットネスクラブは一気に大衆化。女性の利用者が急増し、1980年代後半に日本がバブル景気を向かえると、その店舗数も爆発的に増加。現在につながる「楽しく汗をかく」カルチャーが広がっていくことになるのです。

フィットネスクラブの始まりはフィットネス業界の始まり

そして現在、私たちの健康志向は高まり、世の中には月額3,000円から利用できる24時間ジムや、短時間で効率的に鍛えるパーソナルトレーニングジムなど、個人のニーズに合わせた多様な選択肢も用意されています。

ですが、日本にフィットネスクラブが誕生した当時は「健康のためにお金を払って運動する」という発想すらなかった時代です。

戦後20年が経って高度経済成長とともに生活水準は向上しても、それまでの「運動」や「体力づくり」が富国強兵の政策によるものであったために、これを民間企業が提供するということ自体がベンチャーだったのでしょう。

そんな黎明期を切り拓いてくれたパイオニアがいるからこそ、私たちは今の多様なサービスを享受できているわけですね。

この記事のライター

physica編集部

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