公園遊具変遷|公園の遊具はどう変わったのか - physica
子供の頃、夢中で遊んだ公園の遊具。久しぶりに訪れると「あれ、昔と何か違う?」と感じることはありませんか?
日本の公園遊具は時代のニーズや安全基準に合わせて驚くべき進化を遂げています。
実は日本で公園が生まれたばかりの頃、現在のような「子どもの遊び場」としての遊具が最初からあったわけではありません。
今回は、日本の公園遊具の歴史を見ていきたいと思います。
シーズン1「公共運動器具」
・1873年(明治6年)太政官布達第16号によって公園制度が設けられ、上野公園や芝公園などが整備される
・1879年(明治12年)上野公園内に体操場が設けられ、木馬、梯子、鞦韆(しゅうせん=ブランコ)などが設置される。
・1902年(明治35年)日本体育会から上野、芝などの公園に器械体操用の鉄棒や遊動円木が寄贈。
・1903年(明治36年)日比谷公園が開園。遊動円木、鉄棒、回転塔、水平梯子などの「青年運動器」が設置される。

▲木馬の図。田辺良輔『新兵体術教練』より
日本の近代的な公園の歴史は、明治時代から始まります。
ただ、この頃の公園は現在のような「子どもを遊ばせる場所」というイメージとは少し違います。当時の日本は強い国民を育てることが急務の富国強兵の時代。そのため、公園に設置されていたのも遊具というより身体を鍛えるための運動器具だったのです。
現代の感覚で言えば「公園にジムのような器具が置かれていた」と考えると分かりやすいかもしれません。

▲置いてある器具が違うだけで、発想としては今でいう屋外ジム。
シーズン2「子どもの遊具」
・1908年(明治41年)東京市で「公園改良委員会」が発足。子どもの遊び場として公園を整備する方針が固まる。
・1912年(明治45年)御茶の水公園が開園。
時代が進むと、公園の役割にも変化が起こります。
それまでの公園が「市民の憩い」や「体育」の場だったのに対して、徐々に子どものための遊び場としての役割が強くなっていきました。
特に大きな転換点となったのが、明治末期から大正期です。
日比谷公園でも、児童用のブランコ、すべり台、固定円木などが整備され、子ども向けの遊具が充実していきました。
この頃から、現在の公園につながる風景が少しずつ出来上がっていきます。
そして戦後になると、さらに大きな変化が起こります。
シーズン3「楽しさの進化」
・1956年(昭和31年)都市公園法が制定。児童公園に設置される代表的な遊具としてブランコ・すべり台・砂場が定着していく。
皆さんが思い浮かべる「昔ながらの公園」は、まさにこの時代から形作られていったと言えるでしょう。
高度経済成長期には都市化が進み、子どもが道路や空き地で自由に遊ぶことが難しくなっていきました。
となると子どもが集まるのは、身近な場所にある遊び場です。当然、公園は子どもたちの熱気であふれます。

より「子どもが楽しめること」が追求され、鉄パイプで作られたジャングルジム、回して遊ぶグローブジャングル、箱型ブランコ、高低差のある巨大滑り台など、スチール製のスリリングな遊具が全国に普及しました。
シーズン4「安全性と多様性」
・2002年(平成14年)国土交通省によって「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」が策定される。
平成に入ると、遊具による怪我や事故が社会問題化し、安全への意識が一気に高まります。
基準に満たない危険な遊具(箱型ブランコや急速回転する遊具など)は、撤去や改修が相次ぎました。スリル重視から安全重視へと舵が切られていったのです。

このあたりから、複数の遊びが一体になったカラフルで安全性の高い「複合遊具(システム遊具)」が主流となりました。
さらに近年は、障害の有無や年齢に関わらず誰もが一緒に遊べる「インクルーシブ遊具」の導入が全国で進んでいます。

また、子ども向け遊具だけではなく、ストレッチをしたり、筋トレをしたり、バランス能力を養ったりする「健康遊具」と呼ばれる器具も増えています。

まさかの原点回帰です。
変わらない機能
公園遊具は、時代が進むにつれて
身体を鍛えるための「運動器具」
↓
子どもが遊ぶための「遊具」
↓
多様な遊びを生み出す「複合遊具」
↓
安全性や健康にも配慮した「みんなの遊具」
へと、その役割は大きく変化していきました。
しかし「体を動かすこと」の1点に関しては、過去から現在まで共通して持っている遊具の機能です。
公園から離れてしまったかつての少年少女も、久しぶりに遊具に触れてみると新鮮な気分で体を動かしたくなるかもしれませんね。
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この記事のライター
physica編集部
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